「朝鮮独立運動などに身をささげた韓国人しか埋葬されない共同墓地(韓国:忘憂里)に今も大切に葬られている日本人がいる。山梨出身のクリスチャン、浅川巧(1891-1931)だ。墓碑には「韓国の山と民芸を愛し、韓国人の心の中に生きた日本人、ここ韓国の土となる」とある。▼巧は兄の伯教と共に日本の植民地となった朝鮮に渡り、地元の伝統陶器を研究しその価値を広めた。当時民族に対する偏見が強い中、巧は朝鮮の人たちの暮らしや文化に深い尊敬を抱き、朝鮮語を学び彼らと共に生活した。朝鮮服を愛して普段着ていたことから日本人から受ける侮辱も経験した。やがて彼の生き方は朝鮮民族の心を開き、固い絆で結ばれて行く。▼巧は自然を愛し、当時伐採により禿山となっていた朝鮮の山々の緑化に尽力し、生涯をささげた。働いて得た僅かな収入も現地の貧しい子らに寄付して学校に通わせた。浅川巧は40歳で天に召されたが、葬儀には村人たちが老若男女問わずかけつけ、競って棺を担がせてほしいと願い出たという。高校の英語の教科書にも「韓国と日本の友情を種まいた人物(A Sower)」として紹介され、映画化もされた。▼浅川巧は、国家間の政治情勢を超え、偏見や先入観を持たずに相手の習慣や文化に関心を持ち、お互いの良いところを知り、好きになることから真の親善が生まれることを行動で示し平和をつくりだした。 <2019/8/11「平和礼拝」牧師コラム/先週の説教より>