江戸無血開城を実現した勝海舟。新渡戸稲造の武士道によれば、「刀は丈夫に結わえて、決して抜けないようにしてあり、人に斬られても、こちらは斬らぬという覚悟だった」と海舟の談話を紹介し、武士の究極の理想は平和であることを示している。それはイエス・キリストが示された「剣をさやにおさめよ」という平和の道に通じている。海舟は日清戦争や朝鮮出兵に猛反対していた。彼は明治新政府の顧問的立場から西郷隆盛に意見を求められ「耶蘇教黙認意見」を提出。それから2年も経たずに禁教令が解かれている。ジャーナリスト守部喜雅氏は海舟が晩年、米国伝道師から受けた祈りの後、涙を流し「人生で一番素晴らしい時であった」と感謝を表した逸話を紹介している。<勝海舟最期の告白より>海舟は来日したキリスト教徒のホイットニー一家と懇意にし、その娘クララは海舟の三男、梅太郎の妻となった。クララの手紙によると、海舟が亡くなる2週間前、はっきりと本人の口から「私はキリストを信じる」と告白したという。 <2019/8/25「平和礼拝」牧師コラム/先週の説教より>