ノーベル賞に選ばれる約20%はユダヤ人が受賞している。彼らは神の選民と呼ばれており、聖書が指し示す神の証人的役割を担っている。とはいえ、彼らが選ばれたのは元来「優秀」だったからではない。最も「貧弱」な民族であったがゆえに神が選んで愛し、宝の民とされたという(申命記7:7)。われらを取り巻く世の選考基準とは明らかに異なる。主イエスによって選ばれた弟子も然りである。ペトロは特段地位や身分が高かったわけではない。熱心ではあったが保身のため主を否んでしまうような弱さを持っていた。使徒パウロに至っては以前、キリスト信徒の敵であった。世の基準では途中で切り捨てられても不思議ではない者でさえ、神は自ら選んだ責任において変わる事なく誠実を尽くされる。「神の賜物と招きとは取り消されない」(ローマ11:29)というのだ。神の選びは偶然でも、人間の身分や資質、功績や実力によるのではない。ただ、神の恵みと主権によるのである。あなたも神の選びのうちある。それは母の胎内に宿る以前から(ガラテヤ1:15)、さらに天地創造の前に遡る(エフェソ1:4)。神は愛において選び、信じる者を救われるのだ。このような恵みの世界があることに目を向け、謙虚に歩みたい。2020.1.5