登山道に迷うと同じ所をグルグル回ると言われる。ドイツのある研究グループによると目隠しをして一定の方向に歩ける距離は20m程度。方角がわからない状態で進むと大抵は同じ場所を回るという。人生に於いても同様な事は起こり得る。自分の立ち位置を見失い、どうして良いか判らずにいると迷走する場合が多い。新年となったとはいえ毎年、同じ事の繰り返し。将来に対する明るい兆しが見えず、混迷という名の濃霧に取り囲まれて右往左往する事もあろう。しかしたとえ視界が遮られても「耳」がある。騒ぎ立つ心を静め、呼びかける声を聞こう。確かな道にわれらを導く声がある。その声の主は、災いではなく恵みを与えようとして待ち構えておられる。迷いや行き詰まりがあっても、神はわれらの道を知られ、その道のりすべてに心を配っておられる(箴言5章21節)。たとえ先が見えずとも、神とその御言葉を信じて歩もう、恐れずに。神はその愛によって恵みと祝福の道を備えておられるのだから。2020.1.12