『神の国とは何か?』マルコによる福音書1章15節

ーマ帝国における支配は皇帝の権力下で「Pax Romanaローマの平和」が謳われていたが、実際は武力による統治を否めず、植民地であるガリラヤ・ユダヤの下層市民は圧政に苦しめられていた。一方、ナザレのイエスはガリラヤで「神の国の福音」と説きはじめた。その神の国を、皇帝を頂点とするローマ帝国におけるヒエラルキーの構図と対比させ、あえて可視的に表すならば、帝国とは真逆の逆三角形型構図となり得る。即ち「上に立つ者が仕える者になる」(マルコ1043)という世の支配とは逆説的な愛の支配(国)なのであった。皇帝に君臨する人間が神格化されていく中で、神の国では神の身分であるキリストが人間として、しかも社会の構図でいえば、最も底辺に生きるしもべのような姿で人びとに仕える生涯を送られた(フィリピ2;6-8)。その最たる姿は、他人の罪を背負って十字架にかけられローマ軍によって処刑されるという敗北に見えた。しかしキリストの復活により、神の国は滅亡するどころか世界中に拡散したのである。キリストは私たちを含む全人類の罪を背負われ、救済のわざを果たされたのだ。現代でも所謂パワーハラスメントが横行し、上層部にいる者たちの罪や不正がその配下にいる者たちに押し付けられ、重荷を背負わされてしまうケースが頻発する例を見ると、イエス・キリストが自ら示された神の国は「福音(よき知らせ))」として響く。2020年1月26日(日)