「二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである。」(マタイ18章20節)と主イエスは言う。しかしわれらは今、最も集まることが困難な事態に直面している。「人をみたらコロナと思え」言わんばかりに接触を避け、人と人を遠ざけながら身を潜める日々はいわば集合受難期である。しかし、われらは主イエスの名のもとに<心>が集められている。互いに疑心を抱かざるを得ない日常にあっても、「イエス(神は救いの意)」という主の名は信じるに足る。事前に洗浄も消毒も不要。そのままで身も心も寄せてすがることができるのである。前代未聞の逆境下、主が共にいてくださる。教会暦は受難週に入った。十字架の道を忍ばれ、すべての苦難をその身に受けたられ主イエス。われらも主と共に歩む。主イエスと共にあるなら必ず、回復と希望の道にも繋がっているはずだ。2020.4.5