盲人バルティマイの叫び。多勢の群衆が行き交うエリコの街頭にて人々の騒音は彼の存在を無情にもかき消そうとする。彼の叫びが続く。苦しさは必然的に叫びを呼び起こす。人々は黙らせようと彼を叱りつけ妨害する。だが、彼は益々叫び続け止むことはない。叫び続けたその先でイエスが立ち止まられる。届いたのだ。盲目という身体の障害も、貧しさという生活の困窮も、イエスとの出会いを決して妨げない。彼は跳び上がって喜び、身に付けていた衣を投げ捨ててあの方の元へ向かう。物乞いにはもう何も所有するものはない。彼にとってはもはやイエスから一切のものを期待し、彼にのみ求める者となる。「何をしてほしいのか?」このイエスの言葉は弟子たちの願いに対する言葉と同じだ。弟子たちは「誰が一番偉いか?」を巡っての議論の延長。差し当たり今必要ではなく将来の地位を求める。彼らにはイエスの道が見えていない。盲人は切迫した緊急を要する必死な願いであった。「あなたの道を行きなさい。あなたの信頼があなたを救った」とイエスの言葉。「見える」ようになったバルティマイの目には受難の道へと進むイエスが。彼は自分の道で主イエスに従って行く。仕えるより、仕えられる方を求める弟子たちにイエスは道を示される。余裕や安易な状況下では決して見えない真実がある。緊急時、いのちの実存が問われる場面では余計なものは要らず、真実に必要な事柄だけが見える。叫び続けた先に出会った「道」。必要なものはただ、イエスに対する「信頼」なのだ。(2021.6.13(日))