昨今、明るいニュースと言えばメジャーリーグ大谷選手の活躍だろう。閉塞感の否めない日常では楽しみのひとつ。さて、元祖二刀流といえばベーブルース。彼は不良少年だったが、神父から「君が必要なんだ」と声を掛けられたことがきっかけで、後に偉大な野球界のレジェンドとなる。誰かに「必要」とされること。それは生きる理由の根幹にあるはずだ。イエスのエルサレム入城という大事な場面で必要とされたのは「子ろば」であった。本来の生き方ができずに所有者に「つながれていた」存在。守られているようで何かに支配されおり、責任を負う立場ではないが自由ではない。イエスはその縛りを「ほどかれ」、ご自身の目的のために必要とされる。魅力的で有能さが際立ち、戦闘用や機動力として重宝される「馬」ではなく、庶民的でしかも、幼い未熟な子ろばがイエスには必要であった。平和の象徴、敵を倒す戦力や期待には役に立たない者としての入城。それが人間を罪の束縛から救う王なるメシアとして相応しいということを示すために・・。「子ろば」を必要とされた主イエス。彼はわれらに有能さや偉大さを求めておられるわけではない。未熟であっても、もう役に立たないと思っていても、あなたという存在は密接不可分の「主の必要」があるのだ。(2021.7.4)