『わが魂よ、主をほめたたえよ』詩編103編1−5節 年末感謝礼拝

聖書はわれらに「主をほめたたえよ」と賛美に招く。長期化する生活上の不自由さやコロナ危機による経済的打撃、また病いや困難の中にある者にとってそれは容易ではない。詩編はダビデの名による賛歌が際立つが、彼は幾度なく命を脅かされ、不安と恐怖に取り囲まれる日々を生きた。しかしダビデは、過酷な荒野での避難生活にあって神への信頼が養われ、賛美を歌う者とされる。神の御心に適う理想の王として後世に語り伝えられたダビデの詩を編纂した古代イスラエルの民は、亡国による悲哀と憂慮の暗雲に覆われて将来に希望が見えない苦境の只中で、神を賛美する信仰に招かれた。旧約聖書に登場するヨブは突如、人災と天災に遭遇し、財産や子どもたち一切を失う。悲劇に見舞われた彼は「主は与え、主は取られる。主はほむべきかな」(ヨブ1:27)と神を賛美するのであった。新約聖書では使徒パウロとシラスが、希望のない獄中にあって自らの運命や人を呪うのでもなく、真夜中に神を賛美している記事がある(使徒16:25)。すると獄の戸が開き、手足の枷は外れて自由にされたという話だ。神に信じる者の生き方は、自分の状況がたとい最悪と思われるような局面においても絶望せず、希望を抱く態度に招かれる。賛美はわれらを自由にする。賛美には力がある。それはわれらの力ではなく、神の力がわれらの内に解放されるからだ。賛美は、自分では断ち切ることのできない不安の雲霧を晴らしていく風となって、新しい視野で自ら経験する出来事を肯定する態度となる。賛美を通してわれらの視界に開けて来るのは、神の計らいであり、恵みの発見である。そこには癒しがあり、命がある。翼を張って颯爽と高く上昇する鷲のように、自由で新しい世界が目の前に広がる。賛美は、絶望に対する抵抗運動である。口から賛美が出ないからこそ賛美に招かれる。自らの感情と相容れない時も「わが魂よ、主をほめたたえよ」と自身に呼び掛ける事から、新しい希望の扉が開く。賛美をもって新年を迎えよう。(2021.12.26)

 

2021.12.26 講壇生花 by Ishimaru