いやおうなく襲いかかる病や苦難の日々にあっても「われらは落胆しない(生きる意欲を失わない)」とパウロは言う。彼は死の宣告を受けたような失意の中で、自分を頼みとするのではなく、イエスを復活させた神に寄り頼む信仰へと導かれた(Ⅱコリ1:8-9)。パウロは衰える気力や身体とは対照的に、日々新しくされていくという「内なる人」に目を向ける。それは主と共に死に、主と共に復活する主イエスと一体となったいのちであり、古きものが過ぎ去り一切が新しくされていくという希望である(Ⅱコリ5:7)。現実を取り巻く艱難は容赦なく望みを奪う。だがそこに望みが与えられるなら、それは自分にとって「新しい」ものである。われらが日々新たにされるのは、聖霊によって神の愛がわれらの内に注がれているからだ。希望はわれらを欺かない。この主にある希望は、やがて来たるべき栄光と比較するならば今受けている耐え難い艱難でさえ「一時的で軽い」という認識として到来する。生きる意欲を喪失し、痛みと悲しみに打ちひしがれ、絶望の深淵に佇む日にさえ一切が恵みとして回収される時が必ず来る。そう信じる道にわれらは招かれている。(2022.1.9)
2022.1.9(日)講壇生花 by ISHIMARU