アリマタヤのヨセフという議員は失職を覚悟の上で処刑された主イエスの身元引受人となる。さらに私財を投じてご遺体を丁重に葬るのであった。ガリラヤから主イエスについてきた女性たちは、他の弟子たちが主を見捨てて皆逃げ去る中、最後まで付き従おうと離れない。いずれも死者となった主イエスに対する誠意と真心が伝わってくる。彼女らは「墓」を見つめることしかできずにいた・・。「墓」は命の終焉という現実そのものである。人は使命を果たそうが志半ばで命を失おうとやがて死んで墓へと向かう。福音書は主イエスが墓に納められる「葬り」のプロセスを省かない。後世の教会にとっても主イエスが復活される前に「葬られた」という出来事に関心を示したようである。2世紀後半には成立していた「使徒信条」という信仰告白文には、主イエスが「十字架につけられ、死にて葬られ、陰府に下り、三日目に死人のうちからよみがえり・・」とある。旧約聖書でも死者は「陰府」に行くと考えられた(詩編6:6他)。死ぬ必要のないお方が死者となられた事によって主イエスはすべての人間と連帯された。彼が墓に葬られた事により、先回りしてわれらを支え迎える者となられたのだ。主イエス・キリストと共に生きる者を復活の希望へと導くために・・・。(2022.2.13)
2022.2.13(日)礼拝講壇生花 by ISHIMARU