『戦争の反対を歩む』イザヤ書2章1−5節

首都キーフ(キエフ)では戦闘が激化。無差別砲撃によって学校や病院、避難ルートまで攻撃が繰り返されている。世界から孤立し無謀な戦争に突き進む姿は、第二次世界大戦の日本と共通するとの指摘もある。対話も制裁も通じないのなら武力によるしかないと、戦争をはじめた人物への怒りと憎しみは、独裁者を排除する方向に加速する。しかし、われらは神の言葉を聞かねばならない。「剣を鞘に納めよ。武器を取るものは武器で滅びる」と。いかなる大義名分があろうとも「殺し」が正当化されてはならない。プーチンと同じく東ドイツにいたメルケル元首相は彼とは真逆の指導者であった。民主主義を守り、多くの難民を受け入れる決断をし、原発からの撤退へと舵を切った。彼女の行動基盤は「わたしの信仰:キリスト者として行動する」(新教出版2018)の中で明らかにしており、社会における教会の役割を重要視する。教会は神の言葉、主イエスの教えを語る。それは時にわれらの思考の反対側へ導く。聖書はわれらが恐れる時、「恐れるな」と語り、「大きな喜び」を宣言される。預言者イザヤは、「剣」や「槍」という武器や抑止力が、「鎌」や「鋤」という戦いと真逆の農具に変えられる平和の幻を見る。教会は神の言葉、主の教えへと生の方向転換を示される。神の言葉は、戦争の反対を歩む生き方へとわれらを招くの だ。(2022/3/13)   

2022/3/13(日)礼拝講壇生花 by ISHIMARU