『エマオの途上で』ルカによる福音書24章28−35節

「主は復活された!」と、伝えられて約2000年。なぜ、この言葉が今も虚しくならず世界中で告げられるのか?群れから離れ、暗い顔つきでエマオへ向かう二人の弟子。彼らは大きな期待が失望に終わって自信も揺らいでしまい、失意のうちにもう弟子をやめる道を歩んでいたのかも知れない。けれども、その二人に復活の主は歩み寄って声を掛けられ、それとわからない姿で彼らに伴っておられた・・・。われらも失意を経験する時、顔を曇らせながら希望を手放し、心落ち込むまま道を歩んでしまう事がある。目指すべき望みに未だ到達し得ないエマオの途上を歩んでいる。しかし、復活の主イエスが歩み寄って一緒におられる。大概われらは自らの歩みを振り返る時、主が共に歩んでおられた、と後になって気付くのだ。聖書のみ言葉や意味の解き明かし、十字架と復活の証言を聞く時、なぜか引き込まれ、心燃やされる時がある。自分で獲得しようと躍起になっていた時ではなく、自らの力が抜け切った時に不思議に力や勇気が与えられる。復活の主イエスに捉えられ、希望の方からわれらに近付いているからだ。(2022/4/17(日)

2022/4/17(日)礼拝講壇生花 by YOSHIKO