『静かに待つ意義』:ルカによる福音書1章57−66節

静かに喜びの到来を待つアドベント(待降節)。ルカ福音書1章のザカリアとエリザベトの物語は、静けさが喜びと救いへの道備をする役割をしている。家父長社会で女性は「静かに」させられ、抑圧されている。一方、社会的に優位な男性が口が利けなくなり、神の言葉が実現するまで「静かに」されている。老いて望みを失い「静かな」老夫婦に喜びが到来する。「ヨハネ」と命名しなければならないという妻の意思が尊重されたところで、夫ザカリアの口が解かれ、神を賛美しはじめる。この出来事が象徴するように、本書は男性社会の伝統に挑戦し、差別の中に苦しむ女性や弱さの中にある人々の解放を記す。今年は「宗教2世」という言葉が流行語大賞の候補となり、強制的に信仰を押し付けられて苦しむ者の存在が世に訴えられた。ヨハネは祭司の子として、伝統的にユダヤの宗教を受け継ぐ運命にあった。親としても後継を授かった事で家が途絶えず、名誉が回復されるはずであった。しかし、この夫婦はその枠から子を自由にする。ヨハネは後に偉大な預言者となり、保身や利権に左右されずに世直しをする革命家となる。荒野という静寂の場から叫声をあげ、待ち望まれた救い主を指し示す道備えをする者となった。神の救いは自らの力を静める時にこそ意義を持つ。神の言葉の真実さを思い巡らし、黙して時を待つのだ。待降節の静かさは喜びと解放への序章である。(2022.12.4)

 


2022/12/4(日)礼拝講壇生花 by YOSHIKO