ベケット作の戯曲「ゴドーを待ちながら」は、不条理演劇の傑作と言われ、1953年パリでの初演以来、世界30カ国で上演された。一本の木の下で「ゴドー」を待ち続ける登場人物。「ゴドーが来れば救われる」との期待とは裏腹に姿を見せない「ゴドー」が、いつしか芝居の主役のように感じられる。「ゴドー」とは何なのか?作者も正体を明かさず、観客に委ねられる。一説には「GODOTゴドー」のスペルから「GOD(神)」ではないかとの解釈もある。ローマへの敵意を抱きつつ神の国を待ち続けるユダヤの民。「神の国」はいつ来るか?というファリサイ派の問いに、主イエスは「観察される形では来ない。・・あなた方の間(手の届く範囲)にある」と答える。ファリサイ派はイエスを十字架につけようとする首謀者であり、ルカではイエスに敵対する側の人物として登場する。主イエスは十字架によって、敵意という壁を取り払われたお方だ(エフェソ2:14-16)。主イエスはご自分に敵対する者、裏切る弟子たちをもこの上なく愛し、包み込んでゆかれた。罪なきキリストが人の罪を背負って死なれるという理不尽さの中に、敵をも包み込んで、赦すという不条理さの中に、神の国が差し出されている。失われた者を探して救い出すため、身勝手に生きる息子の帰りをひたすら待つあの父親のように、神は赦しと和解を示しつつ十字架の木の下で、われらを待ち続けておられる。主イエスの十字架の木の下で、われらは神の国に招かれる。ここで顔と顔を合わせるように神の愛に出会うのだ。(2023.7.9)
2023.7.6(日)礼拝講壇生花 by YOSHIKO