エリ・ヴィーゼルの自伝的小説「夜」は、著者のアウシュビッツ強制収容所での体験をもとに、苦悩と絶望の中で神が無関与であるかのように感じた疑問や痛みが綴られている。衝撃的なのは「点呼」の場面。囚人3人が見せしめのために収容所で絞首刑に処せられるのだが、その中の一人は天使のような目をした少年である。太陽が沈む中、2人の大人は絞首台に吊るされ絶命する。しかし少年といえば綱を揺らしながらまだ生気があった。子どもの体重は軽いので、吊るされながら臨終の苦しみが続いていたのだ。「いったい、神はどこにおられるのだ!」と誰かが訴える。それに答えるかのように声が心に響く。「どこだって!?神は今、あそこに吊るされておられる」・・・。ヴィーゼルの描く悲劇の中で、無辜の少年が殺される場面。「神はなぜ助けない。なぜ、この不条理に介入しないのだ」と信仰が根こそぎ奪われるかのような悲劇。これは、イエス・キリストの十字架と共鳴していないだろうか。神はどこにおられるのだ!この問いに、十字架に吊るされた御子の姿が重なる。罪のないお方が孤独と絶望の中に見捨てられ、壮絶な死を遂げられた。この出来事の中にも、神が私たちと共におられる「しるし」が置かれている。どんな凄惨な経験、不条理の闇夜に取り囲まれる現実の只中にあっても神はわれらと共におられる。この約束は今も愛と救いの「しるし」である。(2023.12.3(日)