『沖縄「命こそ宝」の日』:ルカによる福音書3章1−14節

79年前の沖縄戦では県民4人に1人の命が戦争のため命を奪われた。今日は沖縄「ヌチドゥタカラ(命こそ宝)の日」。追悼記念式典「平和の詩」より・・・「あの日 短い命を知るはずもなく 少年少女たちは 誰かが始めた争いで 大きな未来とともに散って逝った 大切な人は突然  誰かが始めた争いで 夏の初めにいなくなった 泣く我が子を殺すしかなかった 一家で死ぬしかなかった 誰かが始めた争いで 常緑の島は色を失くした 誰のための誰の戦争なのだろう  会いたい、帰りたい 話したい、笑いたい そういくら繰り返そうと 誰かが始めた争いが そのすべてを奪い去る・・・(中略)・・・僕たちは知っている 人は過ちを繰り返すから 時は無情にも流れていくから 今日まで人々は 恒久の平和を祈り続けた 小さな島で起きた あまりに大きすぎる悲しみを 手を繋ぐように 受け継いできた それでも世界はまだ繰り返してる 七十九年の祈りでさえも まだ足りないというのなら それでも変わらないというのなら もっともっとこれからも 僕らが祈りを繋ぎ続けよう 限りない平和のために」(沖縄県立宮古高校3年仲間友佑)戦争は、人間の内にある欲望に起因する(ヤコブ4:1)。富も武器も求めず、平和をつくりだされたイエス・キリスト。彼の道備えをしたバプテスマのヨハネは、「富(マモン)」を追い求める者たちに手厳しい悔い改めを迫った。金銭への欲はあらゆる悪の根であり(Ⅰテモテ4:8)、争いもここから生まれる。われらは何も持たずに生まれ、世を去る時はすべて手放す。命こそ宝。だれも奪う権利はない。(2024.6.30)