『主イエスと悪魔』:ルカによる福音書4章1−13節

全人類の救世主として現れた主イエスの歩みは、神の身分を捨ててわれらと同じ「人間」として生きることであった。荒野にて悪魔は執拗に「神の子なら・・」とイエスを誘惑する。石をパンに変える奇跡で物質を満たす事も、高所から落下しても何のダメージを受けない事も、誰もがひれ伏すような巨万の富をもって人々を従わせる事も神の子ならできた事であろう。可能だからこそ誘惑なのだ。けれども主イエスは、神の身分でありながら徹頭徹尾、豊かさではなく空腹を知る貧しさ、繁栄ではなく人々から見捨てられるような弱さ、十字架という痛みと苦しみの道を歩まれた。最初の「人間」が呑み込まれてしまった誘惑にイエスが人間として改めて向かい、罪を犯さない生涯を生きることは、悪魔の支配下にある人類を解放する救い主として必要であった。繁栄の名の下にある富(マモン)、この地上での巨大な権力、人類史上世界を揺さぶってきた誘惑は古今東西、人間を善よりも悪へと誘う。紛争や干ばつに苦しむアフガニスタンの荒野を緑地に変えるプロジェクトに半生をささげた中村哲さん。彼は「人間にとって本当に必要なものはそう多くはない。少なくとも私は『カネさえあればなんでもできて幸せになる』という迷信、『武力さえあれば身を守れる』という妄信から自由である」(「天、共にあり」NHK出版)と語った。われらがひれ伏す相手は悪ではなく主イエスを復活させた神のみである。(2024.7.21(日)