夕暮れ時。主イエスのもとにたくさんの病人が連れて来られた。彼はその一人ひとりに手を置いて癒される。以前、シルバー川柳で「お医者様、パソコン見ずにおれを診て」という作品があった。自分という存在を重んじてちゃんと向き合ってほしいという願いはだれにでもある。すぐに「薬を飲め」と言われるより、まず「だいじょうぶ?」と案じてくれる存在。「ここが痛むの?」と優しく背中をさすって側に寄り添ってくれる。そんな相手がいると人は病のなかにあっても慰めを受け、それが癒しとなり得る。一人ひとりに手を置く主イエスの「手」は原語では複数形、つまり「両手」である。片手間ではなく、相手と向き合っている姿であろう。大事なものを丁寧に扱うためには両手を使う。主イエスは効率とか組織的で素早い働きを目指すのではなく、目の前にいる者をぞんざいにされず、何より大事に接しておられるようである。敗戦79年を数える今年。戦争は全体主義が暴走する。個人の命よりも国家が大切にされてしまう。神にとって一人ひとりの命は何より大事。その愛の言葉を主イエスにおいてわれらに伝えておられる。「あなたが大切だ」と。(2024.8.4)