『堅固な土台の上に』ルカによる福音書6章43-49節

新年が良い年であるようにだれもが願う。良い年となるためには良い心で、良く生きる必要がある。良き言葉に触れることも大切だ。福音として伝えられる聖書のみことばを受け入れることは、良い実を結ぶ種となる。今年の箱根駅伝で連覇を達成した青山学院だが、創設に深く関わった人物に津田仙がいる。新五千円札の肖像、津田梅子の父でもある彼は、佐倉藩士の子として蘭語と英語を習得し、江戸幕府の通詞となる。1873年ウィーン万博で幾多もの言語に翻訳されている聖書に感嘆し、帰国後メソジスト教会で受洗した。彼は明治時代初期に農業改革者として西洋野菜の普及に尽力し、足尾銅山鉱毒事件では田中正造を助け、わが国におけるキリスト教諸学校の創設に貢献し、社会活動においても多くの良き実を結んだ一人である。ジョージ・ミューラーの説教によって真の信仰に目覚めたという津田仙は、何よりも日曜日の礼拝を重んじ、厳守したそうである。彼の良く生きる土台となったのは、聖書のみことばであったことだろう。みことばを行うことは一回が仕始めで、仕納め。「お言葉ですから網を降ろしてみましょう」(ルカ5:5)と、ペトロは「これっきりですよ」と言わんばかりに主イエスの言葉に従った。すると夥しい恵み、みことばの確かさに出会った。一方、聞いても行わず倒れた家のたとえ(ルカ6:49)だが、これも良き福音とならないだろうか。なぜならわれらは本来、自分の力でみことばを行い得ない。しかし自分の力が倒壊した時こそ、神の救いが到来する。神の偉大な恵みの働きは、神の言葉に信頼するより他に何も頼るすべのない貧しさ、内村鑑三の言葉を借りれば「自己崩壊した人」にこそ発現する。けれどもその地盤には、救いの礎石が据えられ、堅固な土台となるのだ。「草は枯れ、花はしぼむが、わたしたちの神の言葉はとこしえに立つ」イザヤ書40章8節(2025.1.5)