『感謝の応答』ルカによる福音書7章36-50節

ファリサイ派のシモン。彼は自分の正しさを基準として人を判断し、時に相手を見下しながら感謝も愛も見失っていたようである。主イエスは自己義認に生きている彼の名を呼び、断罪するのではなく「たとえ」をもって対話しながら配慮と愛を示される。「正しい答え」を出したシモンに主イエスは言われる。「多く赦された者は多く愛する」と。「罪深い女」として断罪されていた名もなき女性の行動は、彼女が経験した神からの赦しの深さに根ざしており、彼女の深い感謝の表れであった。かたや自己義認に生きる者は、神への感謝と愛を遠ざける。われらが見過ごしがちな事実は、神の目から見ればだれ一人自分の正しさを保持できない存在だということだ。神は善人にも悪人にも彼の太陽を昇らせる慈しみ深いお方、ゆえに主イエスは「人を裁くな」(ルカ6:37)と教えられる。どのような人にも回心の機会を与えておられるのだ。同じくファリサイ派出身のパウロもかつては、自己義認に生きた人物であったが回心し、神の恵みによって多くの働きを担った。彼は「私は罪人の中の最たる者です」(1テモテ1:15)との自己認識に達し、十字架のイエスによる赦しの愛と恵みを語り伝えた。いまわれらが生かされているのも神の愛と赦しの証しそのものである。感謝の応答を生きよう。「何よりもまず、心を込めて愛し合いなさい。愛は多くの罪を覆うからのです」(1ペトロ4:8)2025.1.27(日)