
2011年3月11日午後2時46分。1000年に1度と言われる最大震度7の巨大地震が東日本を襲った。死者行方不明者は22,228名に及ぶ。東京電力福島第一原発事故によって発令された「原子力緊急事態宣言」は今も解除されていない。事故から13年半かけて取り出せたデブリはわずか0.7グラム。1号機から3号機にある全体(推定880トン)の12億分の一粒だ。廃炉までの遠い道のり。14年経っても放射能汚染による影響は人々の上に重くのしかかっている。主イエスは、重荷を下ろすことのできないでいる者をきょうも招いておられる。イエスはご自身を「柔和で謙遜な者」と言っておられるが、それは「穏やかさ」という高貴なイメージよりは、当時のローマ帝国の巨大権力と圧力に屈するしかないガリラヤの人々、弱く無力な貧しい者たちを指す可能性がある。つまりイエスは上流階級にいる者たちの決め事によって、その下で働く人たちがどんなに酷い仕打ちを受けているか、その者たちの辛さ、無念さ、その同じ重荷を自分も背負っている、という意味だ。「原発事故、誰も罪を負わず」と新聞の見出しにあった。イエスは、だれも負おうとしない愚かな人間の罪を十字架によって負ってくださった。イエスは人生の苦しみ重荷を一人で担うのではなく、ご自身がともに担うと招く。そして「わたしに学べ」と言われる。真似ること、行動を共にするという意味だ。どんな痛みも犠牲も意味なく終わらない。十字架の死の先に復活の希望があったように、被災地の苦しみの先にも新しい命の光が差し込む事を信じて祈ろう。御国を来らせたまえと。(2025.3.9)